そーいえば

先月ヴィタール見たんすよ、ヴィタール。
そん時はちょっと日記書いて無い時期だったもんで、感想は書かなかったんですけど。
いやね、もう最高。
…というハナシを何でいきなり言い出すかといえばですね、上のエントリーと全く同じ事を叫んでいるわけです。映画の中で。俺の言いたい事を全部言ってくれたというか。
『俺こっち*1で生きるよ!!』と死んだ彼女と脳内で裸で抱き合いながら叫ぶわけです。素晴らしい。


で、この映画って、二次元と三次元の間で折り合いをつける映画なんじゃないでしょうか



死んだ彼女は夢と現実の狭間を漂う主人公の前でダンスを踊るんです。生前の彼女はダンスなんてやってなかったのに。踊るんです、生命の息吹を感じさせるようなダイナミックなダンスを。既に死んでいるのに。
死ぬ前の彼女には生気が無かった。人生を諦めきっていたのだ。幻想の中に居る彼女の姿は美しかった。
主人公は幻想の中の彼女に囚われて行きます。しまいにゃ『そっちの方が現実だ』なんて言い始める始末。


いつかは朽ち果てる自らの肉体を捨て、誰かの心の中に寄生して生き続けるという事はどういうことなのだろう。
記憶を失ってまっさらな頭の中に、只愛したものの姿だけが浮かび上がってきたら、どんな気分になるんだろう。


もし、限りなく広がる美しい世界で、ただ愛する人と一緒に居られるセカイがあったら。


三次元を捨てて二次元に萌え続けろ!と叫び続けるのはそれと同じようなものなのかもしれない。
幸せな世界から現実の世界へ(一旦)戻るとき、主人公は『また来るよ』と彼女に言う。
ゲームをプレイするのも一緒だ。厳しい現実を直視出来ない*2僕らが、『こっち(二次元)がほんとうだ!』と叫ぶのはやむないことなのではないだろうか。


既に居ない存在を愛し続ける事と、元から存在しないものを愛してしまうこと。
はたから見れば、似たような事かもしれない。
只、決定的に違うことは、
元から存在しないものはなくなったりしないのだ
だから僕らは、絶望で死に至る事は無いのだ。
追い求めた『現実』にサヨナラする必要はないのだ。

*1:平たく言えば二次元

*2:こういう言い方をすると映画とはズレるんですけど