僕の一歩と、ゲームをプレイするという事

僕は楽しく生きる事が出来なかった。その一歩を踏み出すには怒りが必要だ。それは外に対するもので無ければいけない。
今はそんな時代じゃない。教師や大人に対する怒り等そうそう沸きおこったりはしない。今は一歩を踏み出すのがとても難しい時代なのだ。
だから、2004年に出た文庫版に冒頭のようなあとがきが載ってる事に僕は怒りを感じる。*1そう、怒りだ。
『楽しんで生きない事は、罪だ』と言い切ってしまう事こそが、今は悪なのだ。そう思う。
だから僕は敢えて村上龍は敵だ、と言いたい。
『楽しんで生きる事が正しい、そうでない奴はポイだ』と、まるで脅迫するように迫ってくる世の風潮にシャイニングウィザードを叩きこんでやりたいと思う。

↑こんな事を17日の日記で書いた。そんで数行追加しようと思ったら色々出てきたので新しく一本書いてみる事にした。*2


それが、僕の怒りだ。これが、僕の一歩だ。誉められたもんじゃないかもしれないが、僕は決めたのだ。
『オタク』だの『キモイ』だのなんだの言われたって気にする必要はないのだ。
三次元の女に好かれるために生きているんじゃない、僕は僕の為に生きているのだ。
誰も助けてはくれない、それは恋人だって一緒だ。
どんなに好きだと、愛していると言ったって、言われたって、裏切り、裏切られるのだ。*3


『オタク』は、それにいちはやく気付いた人々なのだ。
人を傷付ける事を*4拒否してしまった人々なのだ。
だから僕らは萌えている。たかがエロゲー・ギャルゲーで号泣する。
何で僕らはエロゲー如きであんなにも心を揺さぶられるのか、それは僕らがエロゲーをプレイし、笑い、泣き、オナニーする事で自分自身を救っているのだ。
たとえ一時でも、心が晴れるならば、それだけでしばらくは生きていける。
そうして自分を救って行く事は、部屋の隅っこで自分の境遇を呪ってうじうじしてるよりも、馴染めない空気に溶け込もうと頑張って傷つくよりも、小学校に特攻して人を殺してしまうよりも良い。良いに決まっている。
寂しいと言うか?セックスで人肌を感じている方が良い?
それが出来る人間は、その方が良いと思う人間はそうすれば良い。


だが僕はそうしない。そんな事をしても何も変わらないかったからだ。むしろ状況は悪くなる一方で。
三次元の人間の精神は、壊れてしまえる。三次元の人間は、苦しくなったら、本当に誰かを傷付けて逃げてしまえるからだ。本当に簡単に。
僕はそんな事は他人にしたくない、そう思ったから、夜も遅くにこんな文章を書いている。セックスなんてもうしねぇ!なんていう妄言を喚き続けているのだ。


だけどゲームは違う。インタラクティブ性がどーのこーのと言いつつ、最終的な結末は10個も用意されていれば多い方だ。
僕らは、プレイしていく途中でその中から一つを選ばなくてはならない。
良いゲーム、面白いゲームは、その一つ一つが重い。だけどその重さは心地良いモノだ。
最終的にどんな結果が待っているにせよ、『良いゲーム』は、その重さにみあうカタルシスを解放してくれる。
部屋で、一人で、マウスをクリックしてるだけなのに、現実三次元で好きな女の子にOKをもらったと同じくらい*5幸福感と、清涼感、そして(物語が終わってしまう事に対しての)せつなさを、僕らに与えてくれる。
そんなゲームに出会える事は滅多に無いんだけど*6、一度でもそんな経験をした事があるなら、僕の気持ちはわかってもらえると思う。


何かに似ている…そう思われた方も多いかもしれない。そう、『恋愛』だ。
『ゲーム』を恋愛に変換すれば、『恋はいっぱいした方が良い』なんていういつものアレみたいなハナシだ。
だが僕は、『ゲーム』を選んだ。嗤いたければ嗤えば良い。現実の恋愛は僕らを救わない。
僕には、僕ら『オタク』には、『ゲーム』をする事で、誰をも傷つけること無く自らを救済できる手段が用意されている。


それは、とってもしあわせなことだと、おもわないだろうか?

*1:多分これは村上龍のせいじゃない。そんな事はわかりきっている

*2:17日の方もチョット直したからミテネ(・∀・b

*3:怪我して右手が利かなくなった時に向こうの都合でメンヘルに逃げられましたよ!

*4:そして自分が傷つく事を

*5:あるいは、っていうか絶対それ以上の

*6:そんなのはほんの一握りで、僕らは諭吉を何枚も無駄にしているorz