『完全なる』天使のたまご

id:Projectitoh氏のハウル評を読んだ。

 この映画は宮崎アニメですらないのかもしれない。単なる出来事の連鎖。因果も連鎖もない残酷で無情で理不尽な出来事の連鎖。それを通常人々は神話と言い、叙事という。今までの宮崎アニメははっきりと叙情だった。それは偉大なるメロドラマだった。登場人物の感情とともに寄り添った物語が展開して行く、人間から見た世界の有り様だった。が、この映画は180度正反対の方向を向いている。ここで展開される物語(と呼んでもいいのだろうか。もしかしたら物語ですらないのかもしれないのに)は意味を拒む、残酷で人を翻弄する出来事の群れにすぎない。何か大きなことが成し遂げられるわけでもなく、その場その場の出来事に対して人々がそうあるべき反応を返しつつ対立と衝突が発生し、物語が収束する。それは叙事だ。

この部分を読んでいて思ったのだが、『ハウルの動く城』つうのは宮崎が撮った押井映画なんじゃねぇか、と。理不尽なまでの出来事の連鎖と説明の無さ、そして抜け落ちた情緒*1

ハウルは確かに恋愛映画であろう。完璧に出来事の連続として描かれた恋愛映画だ。
宮崎は『完全な』天使のたまごを作ってしまったのかもしれない。*2

*1:この作品での情緒というものは物語の駒としての扱いしか受けていない

*2:天たま見たこと無いんだけどな!近所のレンタル屋に無ぇ!誰か貸して!ヽ(´Д`;)ノ