ちょい書いてみた

「僕は戦争をファッションとして扱っているんです」とガン種の監督は言っていた。
ハウル』で描かれる*1戦争はまさにファッションだった。
そこに苦痛は無く、悲しみも、怒りすらも無かった。
只淡々と破壊されていく街があるだけだった。*2
映画を見た方は分かるであろうが、ハウルは所謂『戦争モノ』では無い。*3
ヒキコモリの美青年がヒロインである所の少女/老婆に『親』として尻を叩かれ、
またある時は『母』として甘え、『女』として愛す。
そうして彼は自らの弱さを克服し、家族を守るためにボロボロになるまで戦った。
この話は『ハウル』という青年がヒロインの恋人であり母(≒親)でもある『ソフィー』と出会う事によって成長していく物語なのだ。
…というと、これで全てともいい難いんだよね。じゃあこの『ハウルの動く城』という映画は何だったのか?
ワカンネ。わかんねぇのだ。この作品の、宮崎駿が何を主張しようとしているのか、僕にはわからない。
この消化不良さはスチームボーイを見た後の虚無感に似ている。
全てを否定する作品*4は良い。そこにエネルギーがあるから。
だが『ハウル』や『スチームボーイ』は否定すらしない。それが、その虚無感が僕は怖い。(11月23日修正)

*1:『描く』というのが憚られる程些細に展開された

*2:死体すらも映されない

*3:だから『反戦』っていうかもっと個人的なレベルでの戦争は嫌ダナァっていう感じだよね

*4:CASSHERNとか?